トランスジェンダーを生きる 語り合いから描く体験の「質感」
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序文で男の子、女の子に生まれながらにして分けられる違和感を唱えながらも、西洋、東洋といった二分法は結構簡単に受け入れてしまっている。西洋的な分析知に対して、中村雄二郎をひきながら「臨床の知」を対置させるなど。
「トランスジェンダーであるとはどのようなことか」その「質感」をこそ研究では救い上げるべきで、それは「トランスジェンダーでない人でも」トランスジェンダーであることが身をもって理解できるような、そういう記述、でも、ある程度の一般性がある記述はどのようにして可能か?ということに前半の議論が費やされている。
正直、前半はおもしろくないかな。先行研究をきちんと押さえているけれど、今更ラカンやメルロポンティの説明聞いても退屈だし......。また、これまでの研究がいかに不十分であったのか、それが今回の研究ではなぜ克服できているのか、あんまり説得力がないというか、明確には理解しがたかった。
ただ、後半の研究、つまりトランスジェンダー当事者9人へのインタビュー調査とその時に自分が感じたことの言語化については大変興味深い知見が多数あり、トランスジェンダーであることについて、一層深い知見を得ることができた。悪い意味での学問的な冷たい描写ではなく、非常にダイナミックな記述。
特にツバサというMTFへのインタビューが、ツバサ自身の言語化が大変達者であることもあって、ラインを引きまくってしまった。かなり踏み込んだインタビュー。ツバサが今の彼氏とはじめてセックスをしたときの記述がとてもよかった。 なんと「レベルE」がここで出てくる。旅行に行こうと彼氏から言われたけど、同時に「旅行は旅行、交尾は交尾でバラバラにお返事きかせてください」という事前了承をとってくれる彼氏だったとのこと。 それによって、ツバサも「私の身体」について安心して説明することができたという。
で、この「旅行は旅行、交尾は交尾」というこのクラフト隊長のセリフが名セリフになっているらしいですね。知らなかったけど。
思い出してみれば、これ、FTMの話だったんだよな。